いじめ ・ ボクシング ・ 決闘
昭和の思い出話 ・ 昭和20年〜22年

  いじめ ・ ボクシング ・ 決闘 

昭和20年 終戦後もしばらくは集団疎開地は愛知県東幡豆町の妙善寺で集団生活を続けていた元気な小学4年生でした。兄は進学のため家に帰った、それから上級生が一人に成った自分への態度が変わって来た。面会に来た親からのお土産を取られたり、肝試しと言って夜の暗いお寺のお墓めぐりをさせられたり、疎開地からの脱走命令を出し、同じ町内の子供3人で妙善寺裏の東幡豆駅から電車に乗らずに西幡豆駅まで歩け、お金は持たされず、大人にくっ付き改札口を出ろ、又は改札口を出る時に切符はあとあとと言って早く通過しろと自分達の脱走した時の事を教えた。

親に連れられ帰ってくる時のお土産がお目当てだったのです。
一番嫌だったのがボクシング、上級生が下級生の仲良同士を素手でボクシングをやらせ 本気でボクシングやらないと上級生の鉄拳がうなります、泣けば尚更の事なので友とコブシで打ち合いました。二人は顔を腫らし上級生に隠れて泣きました。
疎開が閉鎖されて家に帰り通学が始まりました
 クラスで弱い者いじめのグループが居て6年生の時についに ボクシングで 決闘をすることに成りました。
そのボスと対決する一番手として小さな私が対決者に選ばれてしまった。ルールは素手のボクシング、組み手は無し、相手が参ったと言うか泣いたら終わり、対決後は皆が友として校門の前でクラスメイトが手を繋ぎリングを作りゴングが鳴った。 翌日 教室に相手のお母さんが来られ「息子がいじめられ 鼻が分からないほどに顔が腫れ上がって居る」と先生に訴えました。 皆が事情を先生とお母さんに説明しました。お母さんは納得して帰られた、翌日 顔を腫らした友が学校に来た。疎開地での辛い体験のボクシングが自分は顔を腫らす事も無く いじめを対処しようとは、それからはいじめも無くなり明るいクラスに成りました。 
今年の正月に昔の事を初めて兄姉に話したら、そんな事が有ったのかと驚いていました