初の勤め  昭和30年

初任給7千円

親が子に注ぐ愛と同様な愛情で育成を願い「親愛保育園』と命名。

今の短大、教諭養成所卒業後、親愛保育園に勤めました。
子供が子供の世話をするような新米保母さんだった。

ニット編物の勉強のため三年で退職した。

主人と造形家の国島さんとタイル画を二人で制作された 白セメンのレリーフをアトリエで制作し、プロが取り付け

美術、音楽等、情操教育に力を入れていた事から、園舎の壁面にも、タイル壁画、レリーフを施し、
園舎のイメージ作りも大切にされていた。私と結婚した三丸さんが壁画のデザイン制作にあたった。